『守護霊さんとのつきあい方』ふかマンの場合

皆さん、おはようございます。
観相師ふかマンです。

先週の『沖縄防衛戦』の呼称
如何でしたでしょうか。
リンク先のFacebookの方で
反応の手応えを頂けた事を嬉しく思います。

防衛、は
護るための戦い。

護るための戦いがあったのだ、ということを
明確にして、後世に語り続けたいものです。

さて、本題。

私が如何にして認めるようになったのか。

その事を話していきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

1つ。

高円寺駅のある喫茶店で、神風特攻隊について
色々調べ物していました。

その時。
隣席に座った高齢の方が声かけてきました。

「珍しいものを読んでるね」と。

特攻隊を調べるって、とても勇気要りますよね。
どこそこの隊がどのような戦果をあげたか。

突入に成功したと分かれば、「見事!」と涙。
突入に失敗したのだと分かれば、「悔しいな」と涙。

南薩開聞岳の壮麗な裾の光景を眺めつつを想うに涙。

そうして、伊江島や慶良間諸島を見やる度に涙が出ます。

というような事を話しました。

もちろん、私の思い出などは話しません。
半端な思い出はここでは不要ですから。

そうしたら、その高齢の方は
私に「待ってくれんか。渡したくなったものがある」

と言って、喫茶店を出ていきました。

…またかな、また?
と、そろそろ不安になるほど、待っていた頃に

その高齢の方が戻ってきました。

「これだ」と
旧い1冊の本を私にくれました。

それが下写真の物です。

昭和19年改訂
『航空學教程』(學→学)

そして、最初に文字打たれている
ページの写真

本書により航空學ヲ修習スベシ
昭和十九年三月
陸軍士官學校校長 牛 島 滿(滿→満)

と書いてありました。
()の中の文字は旧字体を新字体に変えて
皆さんに分かりやすくしました。

「牛島将軍閣下!」と
本能的に驚きながら

・・・こんな貴重なものを
と、辞退しようとしたのですが。

「いや、私が持ってるより
君に持っててもらった方がいい」

私に押しやるように渡して
その高齢の方は去っていきました。
その方とはそれっきり。御多福をお祈りします。

さて、当時の私はこのように思いました。
「牛島将軍閣下が“形ある証拠”でメッセージを下さった!」
と、畏れと興奮を隠せませんでした。

何故なら。形ある証拠で頂ける、というのは
霊界と現世とのやり取りでは殆どイレギュラーな出来事だからです。

 

さて。もう一つの証拠、というのは
牛島将軍閣下の霊体が御出現されたのです。

それも、今なおも皆さんにも確認してもらえる形で。

続きにその事を書きます。

霊体を見た後は、手を合わせて「祖国や沖縄のためにありがとうございます」と祈って頂ければ、守護霊さんも喜びましょうし。私としても公表してよかった、と嬉しく思うことができます。

以下は、余談。
自己霊査に対する振り返りです。

普段からとても鈍い私ですが。
これのブログを打っていて、はたと気づいたことがあります。

昭和19年頃からは、陸軍(海軍含め)航空訓練を受けるものは
航空訓練の期間として半ば、速練。
殆どが急ぎ足で飛行機乗りの訓練を受け。陸軍の特別攻撃隊として、最初で最後の戦場の空へとあがっていったはずです。
こっちの方はちゃんと調べていないので、おおよその考えですが間違ってはいないはず。

陸軍特別攻撃隊に選抜されるのは、基本的に
必ず命中を期待するベテラン操縦士。
そして、先にいったような速練の未熟操縦士。

即ち、特攻出撃していった陸軍操縦士たちが
この教科書を手とった可能性は高いと思います。

ただ。
この教科書は航空関係の総まとめとして編集されているものなので、航空隊養成というよりも“全体的な陸軍士官”の教養の一部分として使われたものでしょう。

・・・前は、この教科書をもらったことだけで
「守護霊さんからのメッセージだ!」と、いたずらに興奮するだけでしたが。
頂いてから10年は経っている今、もう少しは冷静に見つめ直すことができたと思っています。

アクセス

住所:東京都三鷹市上連雀3-9-9
電話番号:0422-24-6526

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