『守護霊さんとのつき合い方について』ふかマンの場合

皆さんおはようございます。
観相師ふかマンです。

さっき、久しぶりに雨降りました!
直ぐに止みましたが、グッと涼しくなりました❤

皆さんにも納涼ありますように。

さて、一昨日の続きです。

前回。
守護霊さんの名前も分かった、というところで
途切れてしまいましたが。

今回はその続きです。
その守護霊さんの事を話す前に、それに関係ある話をワンクッション振ります。

ここでもあったこと、そのまま
書いていきます。

信じるか、信じないか
どっちを取るかはあなたに委ねます(^o^ゞ

私のBLOGをずっと読んで下さってる
方々ならお分かりと思いますが

私は沖縄に対して
非常に拘りを持っています。

その拘りとは
昔に生きていた時代「沖縄を護れ」という命令のもとに戦って死んだ、その想いで
「沖縄というところはどういうところなのだろう?」
「沖縄の闘いはどの様にして、どうなったのだろう?」

というものです。

私は、両親の郷里『福島』で産まれたのですが
直ぐに沖縄に移って住んだのです。
(それも“沖縄が日本復帰した年”に産まれて、直ぐに沖縄行きです)

我ながら、相当な心残りを持っているのだな
と思います。

小さいときの沖縄は道路が右側通行で、今よりずっとアメリカ(米軍)がたくさんでした。

赤ちゃんの頃。
人は二通りの者が居るものだと思っていました。

半分透けていて、汗や泥んこまみれになってる人たち。
触れて抱っこしてもらえて、きれいな人たち。

きれいな人たち、というのは
自分の両親も含めて、まあ言ってしまえば
普通の人たちです。

不思議なのはもうひとつの方。
半分透けていている人たちです。
この人たちはとても臭い匂いをさせていて、時には血の匂い。時には火薬の匂いをさせていました。
(小さいときは何の臭いなのか分かりませんでしたが、大きくなってから、あれは汗や火薬の臭いだったのか、と分かりました)
この人たちは大抵、項垂れてとぼとぼ歩いてます。
ボロボロになった服を着ながらさ迷っている感じです。
軍服を着た兵隊さんたちは、口をへの字にひん曲げて、厳しい顔で双眼鏡で何処かを睨んだりしていました。

この半分透けていている人たちのこと
いつも側を通る度に観察してたのですが。
同じ動きを延々繰り返していました。

ここまで書いてきたなら、あそこは触れなきゃ。

実は、沖縄でとてもこわい思いをしてきた場所があります。

それは、今でいう天久。
沖縄の新都心です。

そこにこんもりした丘があって
親の職場に行く途中、時々通ったりしてたのですが。

そこは兵隊さんがたくさんいました。
もちろん、半分透けている方々です。

そこを通る車の私たちを追いかけながら
大声はりあげていました。

雄叫び。
悲鳴。
怒号。

何をいってるのかは分かりませんでしたが
かなり喚いていました。

そういうのを車の窓からみていました。
通る度に、いつも。

こわい。
こわいけど、その後からとても悲しい気持ちが込みあがってきて、ワンワン泣いてしまってました。

その場所。
かなり大きくなってから、何があったのかを理解できました。

沖縄の戦争で、かなり日本陸軍が
頑張って戦ってくれた尊い場所だったのです。

興味ある方は下記をクリックして読んでみて下さい。
『安里52高地の戦闘』(シュガーローフの戦闘)

那覇空港の周りもかなりの数の半分透けてた人たちがいました。

そして、私にとっての忘却の島『伊江島』。

成人してからの来沖でも、今だ尚も
あちこちから
日本軍や民間の方々の息づかいを感じます。

昔の記憶に加えて

小さいときから現在まで
こういう沖縄を見てきたので

私のなかでは、まだ沖縄戦は終わっていません。

書くこと、迷走してしまいました。

遅くなりましたが。
半分透けている人たち、というのは
“幽霊さんたち”です。

それほど沢山の幽霊が沖縄にはいました。

沖縄ほどではありませんが。
東京も錦糸町から浅草方面には時おりみかけました。
こちらは東京大空襲の被災者方々でしょう。

不思議なのは『広島』
こちらは殆ど霊体をみることありませんでした。

一瞬にして亡くなっていったからでしょうか?
むしろ気配がしたのは、原爆を浴びてそれがもとで年数経ってから亡くなっていった方々の方です。

ともあれ。
沖縄は軍隊も民間の方々も幾日も戦争に苦しみ、恐怖のもとに亡くなっていったのですから
想いが固着してしまって、その場に留まり
同じ所作を繰り返しているのでしょう。

独身時代、石垣島に住んでいる時。
当時はあった、沖縄との連絡船にバイクを積んでいき
沖縄島を何度か周回したことがあります。

そうして、やはり
行く先さきで、様々な霊体さんを感じたり交流したり
していく内

急にあるインスピレーションが降ってきました。

「今、守護霊さんが変わった!」

守護霊さんは元々、一人に対して一人、ではありません。
グループで代わりばんこに、その人に必要なタイミングでサポートしています。

これを心霊学では『守護霊団』と言います。

そのうち、一番の中心となる方を
『主護霊』と呼びます。

私たちが「守護霊さん、誰?」という場合。
殆どがこの『主護霊』を指します。

その『主護霊』さんは大抵の場合
一生変わることはありません。
産まれてから死ぬまで、共に在り続けます。

でも。
人によっては何回か変わる場合もあります。

基本的には、生き方の意思が大きく変化した場合です。

この時期の私はスピリチュアルを
時間かけて学んでいる最中でした。

小さい頃から感じたりみてきたもののとっかかりがようやく掴める、という段階でした。

それで、石垣島から沖縄に来たとき
過去の沖縄に対して熱心に取り組んでいたのです。

沖縄。
血みどろの戦場だった沖縄!
その歴史と真実を感じ調べる。

そうしていくうちに、「あ。今、守護霊さんが変わったな」と感じたのです。

…でも、それがどなたなのかは分かりませんでした。

いったい誰なんだろう?
とても気になりました。

今回は何となくですが、意識を集中したら
どなたかのかが分かるような気がしてきていました。

気になりつつも、それからも何回か沖縄に行きました。

そのある時。

琉球大学付近をバイクで流しているときに
「アッ!」と叫んでしまいました。

「えー、この方?まさか!」

霊界に対して、かなり疑りながら関わっている私。
(悪霊からの振り回し、をいつも警戒しています)

正体は分かったのですが。

なんと、それからずっと
1年以上もその事を保留にしていました。

大部長くなってしまったので
どなたなのかは、次回に持ち越しになります。

楽しみにしてた方々さま、済みません!

アクセス

住所:東京都三鷹市上連雀3-9-9
電話番号:0422-24-6526

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